以下の引用は、杉浦日向子の「ごくらくちんみ」からです。
ふきみそ (熱燗)
箸先に蕗の蕾のかおりがとどまっている。こどものころは、輪ゴムを噛んだ味がした。おおぶりのぐい呑みで、熱燗をふくむと、犬と散歩した土手の風を感じた。かつて六人で囲んだちゃぶ台だっけ。
【ふきみそ】
ふきのつぼみ(ふきのとう)を刻んで唐辛子味噌に漬けこんだもの。独特のほろにがさがある。
ふぐこぬかづけ (どぶろく)
「どーせ冷蔵庫の整理でしょ。お酒さ、お燗するのめんどうだから、これ持ってきちゃった」
「どぶろくかよ、おいおい」
ぽん、と栓をはじき、つぶつぶ発泡する白い液体を、土ものの肉厚の湯のみに注
ぐ。噛むようにして口のなかでころがし、舌の付け根でそっとつつんで喉奥へおく
りこむ。
(中略)
ヨウコは、ビニールパックから、糠まみれのなにかを取り出した。
「すんごいでしょう。ふぐのこ」
糠をかるくはらって三、四ミリの輪切りにする。オレンジ色の粒々がほろほろこぼれる。
「おっ、こりゃ上等。袋のやわらかなのは粒がぷちぷちで最高よ」
袋は輪っかにはずれてしまう。卵を箸先にすくって噛む。はじける魚卵の旨味。
かなり塩辛いが、あとくちは、きりりと甘い。どぶろくとあわせると、冬の夜がの
っしりと居座る充実感。辛く重く甘い。
「ふぐの卵巣って 猛毒なのに、糠に漬けると平気になるんだね」
「生きているといろんなものにめぐりあえるね、よかったね」
【ふぐこぬかづけ】
猛毒のごまふぐの卵巣を一年間塩漬けし、さらに糠と麹につけて二梅雨を待つ。
そのままあぶっても。
うばい (熱燗)
四十九日が過ぎ、母と遺品を整理していたら、小引き出しから妙なものが出た。
真っ黒な皺くちゃに干からびた木の実のようなもの。
「おかーさん、なんだろコレ」
「それ、うばいだわ」
烏梅。煤をまぶして蒸し焼きにした梅干。振るとカラカラ音がする。つまんだ指先が黒くなる。
「トモコおなかこわすと煎じて飲ませられたでしょ。あれよ」
焚火臭さと酸っぱい味。それでも鮮烈な梅の香りに、凝縮されたいのちのちから
を感じた。煎じたあとの実を祖父がしゃぶり、種をペンチで割って天神様をくれた。
(中略)
祖父は、烏梅をかじりながら、幾度かの大時化をやりすごしたらしい。
陸にあがってからも、毎年初冬に、この小包が届いていた。
陸では、へんてこな晩酌をした。甘口の酒をぐらぐらの熱燗にし、湯呑みへ、ひ
とくちの飯を落とし込んでまぜ、合間に烏梅を噛んだ。
「顔しかめて。ちっともおいしそうじゃないから『おいしい?』ってきくと『うまい』っていうの」
「へんなの」
【うばい】
熟して自然落下した梅の実に煤をまぶして燻し、天日で干す。
万葉の時代に中国から伝わった妙薬。
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