和菓子は日本の文化と密接に絡まっています。
したがって平安時代から1000年以上も経った現代まで存続している企業も沢山あります。
洋菓子の歴史は明治以降で浅いため、そのような老舗が無いことはお分かりかと思います。
和菓子の老舗(長寿企業)はどんな店があるのでしょうか?
調べてみました。
長寿企業(老舗企業)の定義
長寿企業は老舗企業とも呼ばれています。
企業の平均寿命(存続期間)は30年といわれています。
したがって30年を越して存続していれば、平均以上存続しているので長寿企業と言えないことはないません。
そのため、東京商工リサーチでは長寿企業を「創業 30 年以上事業を行っている企業」としています。
ただ、これではあまりに安易すぎますね。
いっぽう、東都のれん会(老舗の会)では入会基準を「江戸・東京で 3 代,100 年以上継続,盛業」
と定めています。
このようなことを踏まえて、一般的には長寿企業を
「事業の伝統と信用価値を有する,創業 100 年以上の企業」と定義することします。
和菓子の老舗(長寿企業)についても創業100年以上で現在も営業しているものと定義します、
日本の長寿企業の実体
日本の長寿企業の数は世界的にも突出していて。28,972社以上(2016 年5月 17 日現在,
帝国データバンク調べ、1,314,829 社を分母として、2.2%)あります。
また,韓国銀行が発表した「日本企業の長寿要因および示唆点」と題する報告書(2008 年 5 月)によると、創業 200 年以上の企業は,世界で 5,586 社あり,このうち半分以上の 3,146 社が日本の企業である。
日本の長寿企業のうち明治維新(1868年)以前創業の会社数は 3,343 社、江戸幕府の開府前(1603 年まで)に創業した企業は 160 社(0.6%)です。
そのうちで業歴 500 年以上は 41 社、千年以上が7社とされています。
例えば株式会社金剛組(Kongo Gumi Co.,Ltd.)は、日本の建設会社です。
西暦578年(敏達7年)創業ですから時代区分でいえば古墳時代。大陸では隋の前の北周の時代です。
寺社建築の会社ですが、現存する世界最古の企業です。
和菓子の老舗(長寿企業)はどれだけあるのか
あまりに数が多すぎるので、「老舗の一覧」をもとに、
江戸開府以前(1602年以前)に創業した店に限定して所在・由来・代表商品・通販の有無等を取りまとめました。
総数は30社。全体に占める割合は18.8%(=30/160)です。
よほど日本人は和菓子が好きなんですね。
和菓子の基礎知識は下記の記事で
平安時代(794 – 1185)に創業した和菓子の老舗
一文字屋和輔 創業:1000年(長保2年)
京都府京都市北区
HP無し、通販無し
あぶり餅
京都市北区の今宮神社の旧参道にある和菓子店で、あぶり餅だけを提供しています。
平安時代の西暦1000年(長保2年)創業で、2019年現在では飲食店としては日本最古の老舗です。
下記の動画で15分12秒ぐらいから一文字屋和輔が紹介されています。
五郎兵衛飴総本舗 創業:1181年以前(治承年間)
福島県会津若松市駅前7-11
HP無し、通販無し
飴菓子(五郎兵衛飴)
約800年前、源義経が平泉落ちの途中、1181年4月2日にこの店に立ち寄り飴を所望されたと伝えられています。その時の飴代金の借証文として伝えられる武蔵坊弁慶自筆の賞状が残っています。
五郎兵衛飴の原料は、もち米95%と麦芽5%を糖化して製造した純粋食品です。
藤戸饅頭本舗 創業:1184年 (寿永3年)
岡山県倉敷市串田919-3
HP:藤戸まんぢゅう 電話での発送可能
藤戸饅頭
源平合戦の古職場として知られる史跡・藤戸の渡し。
源氏方の佐々木盛綱は、村人の案内で藤戸の浅瀬を馬で渡り.平家の虚を衝いて大勝しましたが、作戦の秘匿上、この村人を斬り捨てました。
その後村人の霊を慰める供養が藤戸寺で行われ、近くの民家からまんじゅうが供えられました。
これが藤戸まんぢゅうの起源だと伝えられています。
地元の麹を使用した酒粕を搾って毎朝つくる甘酒と小麦粉が原料の薄皮に北海道十勝産の小豆でつくるこしあんからつくられています。
鎌倉時代(1185 – 1333)に創業した和菓子の老舗
紅蓮屋心月庵 創業:1327年(嘉暦2年)
宮城県宮城郡松島町松島字町内82
HP:紅蓮屋心月庵 電話での発送可能
松島こうれん
松島こうれんは松島の紅蓮尼が参拝の人々がお供えした米を粉にして煎餅を焼き、村の人々に施したと言われています。その製法は一子相伝にて23代に渡り伝え続けています。
宮城県産のササニシキを薄い餅状にし、炭火で焼き上げた煎餅の一種です。
かん袋 創業:1329年(元徳元年 )
大阪府堺市堺区新在家町東1-2-1
HP:かん袋 通販無し
くるみ餅、氷くるみ餅
かん袋は、鎌倉時代末期に和泉屋徳兵衛が和泉屋という商号で御餅司の店を開いたのが始まりです。
豊臣秀吉が大阪城を築城したときに、堺の商人へ多額の寄付を要求しましたが、桃山御殿が完成した際に、寄付金の礼として一同を招きました。工事を見た和泉屋当主は、その後奉仕に出ました。当主は餅作りで鍛えた腕力で瓦を屋根の上に放り上げたところ、紙袋が舞い散るように屋根に上がっていきました。これを見た秀吉が、「かん袋が散る様に似ている」として「以後かん袋と名付けよ」と命じ、それより「かん袋」が、和泉屋の商号になったそうです。
くるみ餅のできた頃
室町時代の中頃には、堺の町は明との貿易で栄えていました。明の農作物を利用して、五代目の当主が塩味生かして茶菓子を作り出し、お餅をくるんで食べるところから「くるみ餅」と名付けました。その後、ルソンから砂糖が輸入され、甘未が加えられ現在のくるみ餅となりました。
氷くるみ餅
明治時代になり、製氷技術が輸入され、氷が簡単に作られるようになると、かき氷をかけて食べられるようになりました。それが「氷くるみ餅」です。
黒田千年堂 創業:1333年以前
島根県安来市清水町110-1
HP:黒田千年堂 通販あり
清水羊羹
平安時代、天台第三祖慈覚大師円仁が遣唐の帰途、現在の島根県安来市清水町に立ち寄られ、唐で召し上がった羊の肝料理の話をされました。人々が再現したその料理は、やがて時を経て精進料理となり、清水羊羹となりました。
黒田千年堂は鎌倉時代末期に、瑞光山清水寺より清水羊羹製造の門外不出の極伝を授けられたそうです。
ただ、羊羹の起源には諸説あります。
室町時代(1336 – 1573)に創業した和菓子の老舗
塩瀬総本家 創業:1349年(貞和5年)
東京都中央区明石町7-14
HP:塩瀬総本家 通販あり
志ほせ饅頭
塩瀬の歴史は660年ほど前に遡る、宋で修業を終えた龍山徳見禅師の帰国に際し、俗弟子だった一人の中国人が別れがたく随従して来朝しました。その人物が、塩瀬総本家の始祖・林淨因です。林淨因は暮らしの居を奈良に構え、お饅頭を作って売り出しました。
淨因のお饅頭は、肉食が許されない僧侶のために、小豆を煮つめ、甘葛の甘味と塩味を加えて餡を作り、これを皮に包んで蒸し上げたもので、その画期的な甘味は寺院に集う上流階級に大評判となりました。
現当主の川島英子は「まんじゅう屋繁盛記 塩瀬の650年」という本を岩波書店から出している。
亀屋陸奥 創業:1421年(応永28年)
京都府京都市下京区西中筋通七条上る菱屋町153番地
HP:亀屋陸奥 電話での発送可能
松風
亀屋陸奥は当初から本願寺に仕え、供物や諸事に携わってきました。
織田信長と石山本願寺の合戦のさなか、当家三代目大塚治右衛門春近が創製した品が兵糧の代わりとなり、 信長と和睦の後に顕如上人が詠んだ
「わすれては波のおとかとおもうなり まくらにちかき庭の松風」
から銘を賜り、 これが「松風」のはじまりだと伝わっています。
駿河屋 創業:1461年(寛正2年)
和歌山県和歌山市駿河町12番地
HP:総本家駿河屋 通販あり
古代伏見羊羹
山城国に、初代が「鶴屋」の屋号で饅頭処を開いたのが始まりです。
その後5代目が、煉羊羹を作り豊臣秀吉に献上、聚楽第での引き出物と使われました。
第1回パリ万博(1855年)に出品した煉羊蕎が受賞しました。
本家尾張屋 創業:1465年(寛正6年)
京都府京都市中京区車屋町通り二条下ル仁王門突抜町322番地
HP:本家尾張屋 通販あり
そば餅、薔麦板、蕎麦ぼうる
本家尾張屋は、室町時代に尾張国から京都に根づき、応仁の乱の頃から現在まで家業を守ってきた老舗です。尾張屋の顔でもある代表銘菓「そば餅」が誕生したのは、江戸時代末期から明治時代にかけて、十三代目当主が考案したといわれます。ただし餅といいましても小麦粉とそば粉を混ぜ、鶏卵や砂糖を加えた皮で小豆漉し餡を包み、天火で焼いた饅頭です。てっぺんに黒ごまを振った素朴なそば餅は、そば粉を使った菓子の先駆けだったようです。
蕎麦屋も兼業。
水田玉雲堂 創業:1477年(文明9年)
京都府京都市上京区上御霊前町394
HP:水田玉雲堂 電話での発送?
唐板
由来によると清和天皇の御代に疫病が流行った際、天皇が「唐板煎餅」という煎餅を創製し、厄病よけの煎餅として庶民に配られたそうです。その風習が応仁の乱のため途絶えていたのを、水田玉雲堂の先祖が復活させたそうです。
由来どおりだとしたら、素朴な薄い焼き菓子・唐板は日本最古の菓子となります。
平戸蔦屋 創業:1502年(文亀2年)
長崎県平戸市木引田町431
HP:平戸蔦屋 他サイトでの通販案内
カスドース
ポルトガルよりより伝わった南蛮菓子のひとつで、平戸蔦屋が元祖となります。
よく溶いた卵黄にくぐらせたカステラを、熱した糖蜜に浮かべ、最後に砂糖をまぶして仕上げます。
明治以降には皇室献上銘菓にもなりました。
川端道喜 創業:1503年(文亀3年)
京都府京都市左京区下鴨南野々神町2-12
HP:無し 通販無し
水仙粽
室町時代より内裏の御用達の材料に妥協しない最も京菓子らしい老舗のひとつです。正月の「花びらもち」も裏千家にこのお店が調進したのがはじまりです。
京都の「おばんざい」を全国に広めた随筆家の大村しげさんも愛して止まず、その本の中で「私が死んだら、道喜さんのちまきは忘れんように供えてや」と記述しているそうです。
虎屋 創業:1520年代
東京都港区赤坂4-9-22
HP:虎屋 通販有り
夜の梅、おもかげ
室町時代に京都で創業し、後陽成天皇に和菓子を献上して以降、皇室御用達の製菓業となります。
その後明治の東京遷都にともない京都の店はそのままに東京にも進出、現在に至ります。
「夜の梅」「おもかげ」といった羊羹をはじめとする和菓子を取り扱っています。
本家小嶋 創業:1532年(天文元年)
大阪府堺市堺区大町西1-2-21
HP無し、通販無し
芥子餅、泰平餅
室町時代に、オランダおよび諸外国との国交が盛んであった堺の町にあって、芥子餅・泰平餅として名付けた菓子を創案、豊臣時代に入っては千利休の好みにより広く賞賛され、名菓として栄される様になりました。
一子相伝の製法の菓子として現在に至ります。
芥子餅は持つとふわふわしていて、口に含むと芥子の香ばしさの後に、ふわふわの餅が口に広がります。
笹井屋 創業:1550年(天文19年)
三重県四日市市北町5-13
HP:なが餅笹井屋 通販有り
なが餅
笹井屋初代当主が、勢州日永の里に因んで日永(ひなが)の餅を創りました。
名前も日永の餅、長餅、笹餅、などと称せられましたが、「なが餅」の今日に至っています。
藤堂高虎も足軽の頃、永餅の美味しさとともに武運のながき餅を食うはよしと大いに喜びました。
さらりとした小豆餡を白い搗き餅でくるんで平たく長くのばし両面を焼香ばしく焼き上げています。
太田屋半右衛門 創業:1562年(永禄5年)
岐阜県羽島郡笠松町の「笠松菓子工業組合」が継承
HP無し、通販無し
笠松志古羅ん
「太田屋半右衛門」が永禄五年に京に上る太閤秀吉に献上したところ、秀吉は喜び、「形は兜の錣に似て、香りは蘭の如し」と 命名しました。「おこし」に似たあめ菓子で、「太田屋半右衛門」が代々製造してきましたが、平成22年に後継者不在となりました。
途絶えさせてはいけないと、笠松菓子組合が太田屋半右衛門の親族より製造工程を学び継承し製造販売を受け継いでいます。
太閤餅 創業:1565年(永禄8年)
三重県伊勢市宇治今在家町63
HP:太閤出世餅 電話での発送有り
太閤出世餅
略して太閤餅とも言いいます。当初は、粒餡入りの三日月型の焼餅でしたが、江戸時代に縁起をかついで丸型となりました。薄い丸型で焼き目が両面に付いています。
安土桃山時代(1573 – 1603)に創業した和菓子の老舗
二軒茶屋餅角屋 創業:1575年(天正3年)
三重県伊勢市神久6丁目8-25
HP無し、通販無し
二軒茶屋餅
二軒茶屋というのは,角屋とその東に湊屋とよぶ二軒の茶屋があったことによります。
角屋は、伊勢神宮へ参拝する舟参宮の港であった大湊から勢田川をさかのぼる舟着場の近くで創業されました。明治5年5月25日には、明治天皇もこの地に着かれ、神宮参拝をされました。
「二軒茶屋餅」はこしアンを薄皮の餅でくるみ、ひきたてのきな粉をまぶしたきな粉餅ですが、戦前までは、黒砂糖のアンでした。明治天皇の行幸にちなんで毎月二十五日には、「くろあん二軒茶屋餅」を販売しています。
柳屋奉善 創業:1575年(天正3年)
三重県松阪市中町1877
HP:柳谷奉善 別サイトでの通販を案内
老伴(おいのとも)
柳谷奉善は近江国の豪族蒲生氏の御用菓子司として近江国日野(現在の滋賀県蒲生郡日野町)で創業しました。蒲生氏郷が豊臣秀吉の命により伊勢国へ移り、その後天正16年(1588年)に松坂城を築城し始めると、その城下町である松阪に移転しました。
老伴(おいのとも)は天正3年(1575年)に作られた商品で、後に松阪の豪商で茶人でもあった三井高敏氏(三井家)により、白楽天の詩集から「老伴」(永遠に付合えるお菓子)と改名されました。
羊羹の甘さを最中の皮で抑えた、上品で独特の風味が楽しめます。
俳優の小倉久寛さんは子どものころから大好きだったと公言しています。
玉英堂 創業:1576年(天正4年)
東京都中央区日本橋人形町2-3-2
HP無し、通販無し
虎家喜(とらやき)
京都で創業して以来、さまざまな名菓を手がけていましたが、江戸進出の折には、考案された品「虎家喜(とらやき)」が大好評を博し現在に至っています。
虎家喜は皮に付いている紙をはがすと、トラ模様が出てきます。
中国の故事で三代続けて寅年が生まれると、子孫繁栄と言われている縁起の良い菓子です。
虎家喜は秘伝の製法で中の粒あんと生地がとても美味しく虎柄がとても美しいと評判です。
通販:ぐるすぐり
五太夫きくや 創業:1584年(天正12年)
出典:http://tokaido53.blog.jp/archives/7110374.html
静岡県袋井市高尾町25-7
HP無し、通販無し
北の丸
店の創業は「小牧・長久手の戦い」があった年の由。ただ、当時から菓子を扱っていたかは不明です。
南蛮菓子「北の丸」は焦げ茶の焼き菓子なので日持ちがします。
普通の焼き菓子とは違い、上品な甘さと程よい固さがあり、切れの良い割れ具合とサクサク感であとを引くそうです。
本家菊屋 創業:1585年(天正13年)
奈良県大和郡山市柳1-11
HP:菊屋 通販有り
御城之口餅
初代当主が豊臣秀長から兄の豊臣秀吉公をもてなすための珍しい菓子を作るようにと命じられ、粒餡を餅で包みきな粉をまぶしたお菓子を献上しました。
秀吉公はたいそう気に入り、「鶯餅」の御銘を頂戴しましたが、菊屋がお城の入口で売っていることからいつしか「御城之口餅」と通称が付き現代に至ったそうです。
一説には全国の鶯餅の原型ともいわれています。
NHK BSプレミアム2019年4月26日放映『美の壺』でも紹介されました。
長五郎餅本舗 創業:1587年(天正15年)
京都市上京区一条七本松西
HP:長五郎餅 電話での発送有り
長五郎餅
太閤秀吉が開いた北野大茶会で用いられたという薄い餅皮に餡を包んだ上品な餅菓子です。
北野天満宮の名物で餡入り餅の祖とされています。
如水庵 創業:1587年(天正15年)
福岡県福岡市博多区博多駅前2丁目19-29
HP:如水庵 通販有り
筑紫もち他
如水庵は創業後、神社仏閣の御供物調進所として代を重ねきました。代々使われ引き継がれてきた、菓子の木型のほとんどは福岡市の博物館に寄贈し展示されています。
定番の「筑紫もち」は昭和52年に万葉集の梅花の歌をモチーフに発売されていましたが、令和が万葉集から採用されたことにより大人気となりました。
老舗園田屋 創業:1592年以前(天正年間)
熊本県熊本市中央区南坪井町6-1
HP:老舗園田屋 通販有り
朝鮮飴
初代当主が安土桃山時代に「長生飴」として創製したもので、当時の熊本藩主加藤清正が朝鮮の役の際に持参し気候風土に変味せず、保存性がよかったことを賞賛し「朝鮮飴」と名付けた言われております。餅米と水飴、砂糖が主原料の一家相伝の製法で作られています。
大杉屋惣兵衛 創業:1592年(文禄元年)
新潟県上越市本町5-3-31
HP:大杉屋惣兵衛 電話での発送有り
翁飴
初代がこの地で、粟から水飴をつくり始めてから工夫を重ね、もち米と麦から淡黄透明な水飴をつくることに成功しました。
翁飴は家伝の水飴に寒天を加えて, 四角くやわらかに固めた古伝大杉屋の代表銘菓です。
砂糖を使わず、水飴のみの自然な甘さなので、こまやかで淡泊な味わいと気品ある姿は, 能の翁に例えられ歴代高田城主に珍重されました。
翁飴本舗 桔梗屋 創業:1592年(文禄元年)
秋田県能代市畠町6-8
HP:翁飴本舗 桔梗屋 予約注文のみ発送有り
翁飴
天正年間 に加賀宮の腰(現石川県金沢市金石町)で饅頭の製造を始め、文禄元年(1592) 野代村(現能代市)に移住し、屋号を「宮腰屋」と称して創業する。当初は饅頭の製造でしたが文化9年(1812)に長寿銘菓【翁飴】を創製し、以来一筋に全工程手造りの製法を守っています。
味は淡泊ながら滋養に富み、餅のようにやわらかなゼリー状の透明な淡黄色で、一種独特な風味とほどよい甘さがあり口の中でとろりと溶けます。
大寺餅河合堂 創業:1596年(慶長元年)
大阪府堺市堺区少林寺町西4丁1-27
HP無し、通販無し
大寺餅
慶長元年に通称「大寺さん」と呼ばれる開口(あぐち)神社の境内で創業。参拝客にあんころ餅やきなこ餅などを販売してきました。大寺餅は柔らかなお餅を厳選された小豆の餡で包んだソボクな甘さです。
堺が生んだ歌人・与謝野晶子も好んだといわれています。
みなとや幽霊子育飴本舗 創業:1599年以前
京都市東山区松原通大和大路東入2丁目轆轤町80番地の1
HP:みなとや幽霊子育飴本舗 通販無し
幽霊子育飴
京都の六道の辻は葬送の地のひとつである鳥辺山の入口にあたる場所ですが、その近くに飴屋「みなとや幽霊子育飴本舗」はあります。
幽霊子育飴は素朴で優しい甘さの飴です。麦芽糖を使っているので柔らかな口溶けが特徴のようで、喉が痛いときなどに和らぎます。
そこで売られている「幽霊子育飴」に添えられた由来によれば、慶長4年(1599年)に女性が亡くなり埋葬され、数日後にその土の中から子どもの泣き声が聞こえてきたので掘り返すと、亡くなった女性が生んだ子どもであった。ちょうどそのころ、毎夜飴を買いに来る女性があったが、子どもが墓から助けられたあとは買いに来なくなったので、この飴は「幽霊子育ての飴」と呼ばれるようになった。その時助けられた子どもは8歳で出家し高僧となった、とのことです。
まとめ
和菓子の歴史の古さに驚かされます。
創業後、拠点を変えた店もありますが、現在の所在県別では京都府が7店で最多。
これは予想どおりでしたが、全体では17都府県と分散しているのは予想外でした。
最古の店は平安時代に創業して、千年以上経った今でも商いをしている!!
創業当時の製法をそのまま伝承している店と改良を加えている店がありますが、単に伝統を墨守しているだけではなく、時代の変化に合わせている面はあろうかと思います。
まさに日本文化そのものですね。
通販をしていない店もありますが、もしその地方に行くことがあったなら、歴史と伝統を味わってみるのもいいかもしれませんね。
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